珈琲のこと

日曜日の朝にコーヒーの品評会が習慣となっている。
私はかつてアルバイトでコーヒーを入れていた。アルバイトでも美味しいコーヒーが入れられるように豆、お湯の量はもちろん温度と蒸らす時間、抽出時間もきっちりと決まっていてその通りにしていた。そして家でもその感覚を忘れまいとコーヒーを入れるうちにどこへも行かない日曜日の朝のコーヒーは私が入れることになった。
お気に入りのカップが三つある。その日の気分で選ぶのだ。母はそこまで気に入っていないらしいカップが二つ。お気に入りのが欲しいわ、と言いながらどちらかを差し出す。カップとサーバーはちゃんと温めないといけない。細い注ぎ口の薬缶に湯を沸かし、一度コーヒーサーバーへ移し替える。適温と教えられた温度にする為だ。そうしてコーヒーの粉へ慎重に細い糸を引くように湯を注ぐ。コーヒーの粉はふわっと湧き立ちいい香りが広がる・・・と書きたいところだが挽きたてではない粉は期待している程膨らまないが、ともかく香りは良い。

注ぐ時は集中したい。話しかけないでほしい。集中しないと美味しいコーヒーは入らない。そうして二人分のコーヒーをそれぞれのカップへ注ぐ。湯気はまるで早朝の湖面に立ち籠める霧のように湯面を漂っている。

さて、ここから品評会は始まる。今日はすっきりした味のコーヒーになるように気持ちを込めた。しかし大体が気持ちとは裏腹になる。ある日のコーヒーは深く、コクのある味に。ある日は後味すっきり。またある日は苦味はあるが後に残らない味となる。豆も水も同じものなのだけれど同じ味だったことがない。
味についてひとしきり話をした後、私たちはそれぞれの用事に取りかかる。この時間がないとどうしても用事に取りかかることができなくなっている。