シンプルライフの原点

物に対する思い。

物が身の回りにたくさんあればある程豊かという価値観がこの20年程で随分変化してきていると感じている。

書店へ行けば断捨離やミニマリストなどの新刊本がたくさん並んでいるし、ネットの情報もしかり。私の祖父母世代はまさに物で満たす事が豊かなことと信じて疑わなかった時代だから祖父母の家は物で溢れかえっている。そして父母はその片付けに頭を悩ませている。

私はもともとたくさんの物が欲しいとは思っていないし、洋服についてはブランドも気にしたことがない。シンプルで着易くてそれなりに手頃な値段で買える物が欲しい。それでも社会人となってある程度のお金を手に入れるとそんなに買ったはずではないのにそれなりに物が増えていた。

高校生の頃、古文の授業で鴨長明の『方丈記』を読んだ。有名な序文 ゆく河の流れはたえずしてしかももとの水にあらず、から始まるこの文章は平安末期の天災、疫病などの情勢不安、世の中の無常や儚さを達観の境地で書かれた随筆だ。その随筆の後半には鴨長明が暮らした草庵での様子が描かれている。当時の古文の先生がその草庵での暮らしについて配布してくれたプリントの内容「鴨長明シンプルライフ」というようなタイトルで今でいうワンルームでの暮らしのような極めて物が少ない、シンプルなその様子に驚いたのだ。

西に仏花を供える棚をつくり、北の隅には障子を隔てて仏画を飾り、その前に経典を置く。

・スタッキング可能なボックス型の棚に、お気に入りのアート作品や本を置く

寝床は東側に敷かれています。

・ベッドはいらない、布団派

机に向かうときは、脇息(きょうそく)に肘をかけて円座に座る。

つり棚には、和歌の本や往生要集の写本を入れた箱を置き、その横に、琴と琵琶を立てかけておきます。

・ちゃぶ台を前にクッションに腰掛け、そして趣味の本やペン習字の練習帳、その横にウクレレとキーボードを立てかけている

最低限の限られた身のまわりの品々の中で特に目立つのは、文机や硯(すずり)箱などの文具と三具足(みつぐそく)などの仏具です。これらは長明が陰遁した文化人として携帯すべき必需品であったことがわかります。

・身の回りの品々でスマホとパソコンなどの現代における仕事道具、連絡手段、娯楽も兼ね備えた電子機器と電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機の一人暮らしの三種の神器。これらはかもめもめが現代において最低限文化的な暮らしをする為の必需品であったことがわかります。

(笑)

『かもめもめ口語訳 ワンルーム日記』(現代版私的解釈方丈記

現代の生活様式になぞらえて解釈するならこのような感じだろうか。

もちろん、服も食器もそれなりに持っているし最低限の家電といえどもエアコン、ドライヤーなしではもはや暮らせない。シンプルライフを試みようとした時に電子レンジや炊飯器を持っていない時期もあったけれどそれはそれで手間がかかる。

便利なものを使わないという生活スタイルもあるけれど、私はそれなりに恩恵に授かりたい。だって便利なんだもの。便利なものとは生活を良くしたいという人間の知恵のようなもの。でもあれもこれもではなくて生活必需品を厳選して、自分にとっての良いもの、愛着を持てるものを身の回りに置いて暮らしていきたい。服も食器も家具も家電も。

でも、きっとまたそんな理想はゆく河の流れの如く、かつ消えかつ結びて久しくとどまることはないのかもしれないけれども、暮らしについての本質を忘れそうになった時、私の師匠の一人、鴨長明先生の究極のシンプルライフを思い出せたらと思う。