木を見て森にいながら俯瞰する

昨日、人間関係の距離感について考えてみました。

私にとってのちょうど良い距離感は例えとしては「壁一枚挟んだ気持ちの良い挨拶のできる程度のお隣さんくらいの関係」ということ。

それは物理的な距離が近ければ近いほど、会う頻度が高ければ高いほどこの距離を保っていたい。個人的な考えを言う必要はない、挨拶ついでに今日の天気とお相手を気遣うくらいの言葉をかけるくらいで丁度いい。

周りの人に対して自分を理解して欲しいといった気持ちがありましたが今ではそのように思わなくなりました。言ったところで、という経験の方が多かったから。でも、それは私が周りに過度に期待しすぎていたことも原因でした。

理解されないことで自分の居場所がないように感じる時、その範囲を広げて俯瞰してみれば良い。

今の時代、そう言った意味では本当に恵まれている。家にいながらにしてネット一つで私の意思はどこへでも飛んで行ける。

例えば自分の好きな音楽をyou tubeで聴いているとそこにはそれが好きな人達が集まっていて、そのどこが素晴らしいのか、何が良いのか私の言葉にならない感情を見事に言い表してくれている人達がたくさんいて、世の中にはこんなにも私に近しい感覚の人がいるんだととても励まされたような気持ちになることがあります。

俯瞰すること。例えば東京スカイツリーに登って見下ろしてみた時の感覚。こんなにせせこましい街中で、自分の悩みが取るに足らないことであるような気持ちにさせてくれました。

同時に自分の中にある情熱や好きなことへ対する想いは常に大切にしたいと思うようになりました。周りに理解されようとして無下な扱いを受けて、自分がねじ曲がるくらいならば、そんな人との交流は避けたい。だってそんな交流は俯瞰してしまえば取るに足らない関係だと理解できるようになったから。それから自分の大切な感情は近くには存在していなくても広い世界には共感し合える人がいてくれるいうことを知ることができたから。