私のフレデリック

雨が一日降り続いております。本日、2杯目のコーヒーを飲みながら、外はしとしと、私の頭ではつらつら言葉が積もってきています。こういう時は放出させなければ。

 

離れた場所に住んでいる甥っ子は外で遊ぶのも大好きで、車の図鑑に夢中になったり、歌ったり踊ったりも好きだけれど今はお絵かきに夢中のようです。この一年ほど会えない状況が続いていますが元気な様子を写真や動画で知らせてくれます。今日は雨なので朝からお絵かきを楽しんでいたようです。大きくなってもそんなふうに自分にとって楽しいこと、嬉しいことともに過ごしてゆける人になって欲しいなと叔母の私は思います。

レオ・レオニ作の「フレデリック」という絵本が私の心の奥底に眠っています。

たまに思い起こして自分自身を奮い立たせています。

途中までの話はイソップ童話「蟻とキリギリス」のような話*1だと思っていたのですが、

実はそうではなくて、そして全然教訓めいたものでもなく、希望を与えてくれるお話でした。

 

フレデリックは働き者の仲間たちの横でただじっとしながら何かを集めているそう。そうして冬がやってきて、凍えるような寒さと飢えは、ねずみたちからおしゃべりをする気力さえ奪っていきます。仲間たちがフレデリックにじっとしていた間に集めたものはなんだったか問います。実はフレデリックが集めていたのは、「おひさまのひかり」や、あたたかい世界にあふれる色、そしてみんながわくわくするような言葉(詩)たち。
仲間たちが目をとじて、フレデリックの語りに耳を傾けると、本当に体があたたかくなってきて、頭の中にはあざやかな色が蘇ってくるのでした。仲間たちはフレデリックに拍手喝采

 

というお話なのですが、もちろん暮らしていく中で必要な経済力、その他諸々は大切。だけれどもその中でも私にとっての「光」や「彩」は大切にしたい。私にとって絵を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたりすることは暮らしの中での光であり彩。大人になれば自分の気持ちを奮い立たせて、守って、しなやかに生きて行けるように工夫ができます。

甥っ子もこんな素敵な物語のように温かくて明るい環境の中で健やかに大きくなって欲しいな。甥っ子に限らず、全ての子供がせめて子供時代は幸福に過ごすことが出来る様に大人の私には何が出来るのだろう。

 

愚痴を言うことも、他人を不快にさせるのもそれはある意味その人なりの自己表現の一種。

でも、そんなネガティブで人の心を真っ黒に塗りつぶしてしまうような言動を吐き捨てるのではなくて私はどうにか消化して、絵でも音楽でも、文章でもどんな物でも良いから何か一つその表現方法を身につけて、素敵なもの、希望として昇華していきたいと願っているのです。

 

*1:働き者の蟻を横目に楽しく遊び呆けていたキリギリスが冬になり、食糧がなくなり飢えで死んでしまう。つまり真面目に働かなければならないという教訓のお話なのだと幼い私はそのように理解しました。