クローゼットの中身

3月になりました。

厚いコートを脱いで、早く軽やかな装いをしたい、春の服も欲しいなと思う今日この頃ですが、その前に。冬服の整理と春服の手持ちの服を把握しておきたいところです。

人間関係については距離感が大切だと感じていますが、ものは量、適量が大切だと思います。ミニマリストではないけれども、殊、服に関してはミニマリストでいたい私です。というのも結局、たくさんあっても着ないのです。デザインに流行り廃りのないオーソドックスで、着心地が良くて、着回しのきく服をよく着ています。数にしてワンシーズン大体5着程度でしょうか。思い立った時が吉日。そんな訳で早速、片付けを始めます。

 

 

かもめ式 服のお片付け 2021年版

「いらなくなったら手放す」が基本なのは分かるのですが、それがなかなか難しいところ。

ただここ数年は試行錯誤で手放す努力はしています、それなりに。

そんな訳でこれまでネットや本などで得てきた知見と経験を頭の中でまとめつつ、片付けて行きます。

 

  1. 並べる
  2. 分類する、見直す
  3. 手放すための準備

 服の片付けはこの3ステップです。

1.手持ちの服をまず並べて、量を確認します。

(こちらの写真の他にも洗濯中のセーター、ワンピース、アウターなどもありますがメインはこちら)

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2021年 冬服

2.次にそれぞれ分類して手放す服、必要な服を選んでいきます。

その為の判断基準は図にしたらこんな感じです。

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服の片付け判断ポイント

 

最初の判断ポイントは「A まだ着たいか」どうかです。

デザイン、色を気にっているかどうか。着心地が良いかなど着ている時の気持ちが大切です。

その次に「B まだ着られるか」どうかです。

例えば全体的に使用感がある、襟袖口の汚れ、毛玉があるなど着用するにあたってきちんとして見えるかどうかがポイントです。

【今年一度も着なかった服】

今年だけでなく、数年着ていない服も持っていることがあります。

さて、大体そんな服はお決まりのパターンがあります。

C お気に入りだった、思い出のある服、気分によって好みが別れる服

数年に一度、オレンジとショッキングピンクが着たくなるという衝動に駆られます(!)

ただこれらの色は気分ではない時は本当に着ない色。なので1年では判断が付かないのです。

D 高かった服

なかなか手放せないのはこんな理由も。いつか着るかもと未来の私に期待しています。

E 手直しが必要

丈を長くするなどその手直しが手間でなければ直します。

F 部屋着

特に思い入れはないのに捨てるまでではないかなという服をとりあえず部屋着にしているというパターン。

 でもこれまでの経験上、2、3年着ていない服はその後も着なかった方が多いので「手放す」判断が良いのかなと思っています。

 

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今年着なかった服

 

今年着た服も同じように分類します。

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今年着た服

今年着た服のうち、4着プラスα(この他部屋着、パジャマ)レギュラーから外すことに決めました。

G また来年も着る予定

「まだ着たい」「まだ着れる」服です。

H 保管する

セーター、ニット、カーディガンですがセーターとニットは使用感があり、カーディガンはデザインがしっくり来ません。

捨てるまでもない場合は2、3着程度なら部屋着として着用して、気が済んだら手放すことにします。ただし部屋着と言えどもあまりにも疲れた服だと気持ちもだらしなくなるような気がするので程々に。

またお気に入りの服など手元に残しておく服は圧縮袋を利用すると嵩張らずに保管できます。

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保管の服は圧縮袋に

I 手放す

スカートは丈が短いのでもう着ません。また部屋着とパジャマはだいぶ疲れていたので手放すことにしました。

 

3.手放すための準備 

 手放すためには「捨てる」「あげる」「売る」の3つの手段がありますが、「あげる」については受け取ってもらえる方がいないので私の場合は「捨てる」か「売る」になります。

捨てる・・・行政の資源ゴミに出します

売る・・・フリマ、フリマサイト、買取を利用します

手放すために試行錯誤してきましたが買取が一番手っ取り早く片付けることができます。

手放すと決めたら、出来れば1週間以内に決めるのが良いと思います。あるいは例えば資源ごみ回収日を目標に捨てる準備をするなど。そうしないとまた置きっぱなしということになりかねません!ちなみに私はこのお片付けの週末には資源ごみに出しました♪

 

 

 

 

 

木を見て森にいながら俯瞰する

昨日、人間関係の距離感について考えてみました。

私にとってのちょうど良い距離感は例えとしては「壁一枚挟んだ気持ちの良い挨拶のできる程度のお隣さんくらいの関係」ということ。

それは物理的な距離が近ければ近いほど、会う頻度が高ければ高いほどこの距離を保っていたい。個人的な考えを言う必要はない、挨拶ついでに今日の天気とお相手を気遣うくらいの言葉をかけるくらいで丁度いい。

周りの人に対して自分を理解して欲しいといった気持ちがありましたが今ではそのように思わなくなりました。言ったところで、という経験の方が多かったから。でも、それは私が周りに過度に期待しすぎていたことも原因でした。

理解されないことで自分の居場所がないように感じる時、その範囲を広げて俯瞰してみれば良い。

今の時代、そう言った意味では本当に恵まれている。家にいながらにしてネット一つで私の意思はどこへでも飛んで行ける。

例えば自分の好きな音楽をyou tubeで聴いているとそこにはそれが好きな人達が集まっていて、そのどこが素晴らしいのか、何が良いのか私の言葉にならない感情を見事に言い表してくれている人達がたくさんいて、世の中にはこんなにも私に近しい感覚の人がいるんだととても励まされたような気持ちになることがあります。

俯瞰すること。例えば東京スカイツリーに登って見下ろしてみた時の感覚。こんなにせせこましい街中で、自分の悩みが取るに足らないことであるような気持ちにさせてくれました。

同時に自分の中にある情熱や好きなことへ対する想いは常に大切にしたいと思うようになりました。周りに理解されようとして無下な扱いを受けて、自分がねじ曲がるくらいならば、そんな人との交流は避けたい。だってそんな交流は俯瞰してしまえば取るに足らない関係だと理解できるようになったから。それから自分の大切な感情は近くには存在していなくても広い世界には共感し合える人がいてくれるいうことを知ることができたから。

 

 

人間関係の距離感

寒くて寒くて仕方がないけれど人恋しいと思う気持ちはありません。先日、ネットのニュースで2つの記事を見ました。

 

news.yahoo.co.jp

fujinkoron.jp

人間関係についていろいろ思うことはありますが、私の場合、さすがに人間関係に「断捨離」という言葉を使うのには抵抗があるけれども、なんだかんだで私も人間関係に一定の距離を置くように心がけています。幼少からこれまでの自分の経験を踏まえてその方が自分もひいては相手にとってもちょうど良い距離感なのだとこの2、3年で思えるようになりました。

 

私の場合、最大3年が限度。(派遣の契約と一緒だ。)

それ以降のお付き合いは惰性か、嫌な一面を見てしまったりと良いことがなかったように思います。あ、またこのパターンに陥ってきたなという思いにさせられる経験を何度かしました。

20代後半からもう友達はいらないと思うようになりました。

でも趣味などを一緒に楽しめる「仲間」がいてくれればと思うようになり、そこで趣味を通じた仲間を求めて、好きなカメラの教室へ行ってみたり、音楽バンドを組んでみたりしてみました。

でも、やっぱり「3年の法則」にもれなく当てはまってしまいました。

私自身、初めから期間が決まっているお付き合いの方が付き合いやすいというのもあります。

その期間ならどんな自分を「演じる」かということを意識します。やはりなるべく良い印象を持って欲しいのでその期間が短ければ短いほど私は良い人でいられる。けれどもある程度の長い付き合いになりそうな場合はずっと良い人でいるには疲れてしまう。だから初めから力を抜く。途中でなるべく息切れしないように。そんなこんなを考えているうちに面倒になってきました。それならば極力、近づかないようにしよう。

 

私自身が対話をするよりも、その傍らで誰かの面白い話を聞いていられれば良い。

雑誌の対談集や本などでその人の考え方に触れられれば良い。そして共感できる考えを見つけて心の支えになれば良い。かつての知人(数は少ないけれどいるよ!)から何気ないタイミングで連絡をもらった時に素直に懐かしい気持ちになれれば良い。そして私もその人をたまに思い出して、元気にしているか気遣うことができるような関係を。

常に人といたくはないが人の気配は感じていたい、私のちょうど良い距離感は一枚壁を挟んだ気持ちの良い挨拶ができるお隣さんのような関係。

 

 

派遣の渡り鳥

今日の帰り道も雪がちらついていました。

暖かくなってから寒さに逆戻りするのが辛いですね。

そんな訳で今、温かいソイラテを飲みながらこちらのブログを書いている木曜日です。

 

さて私は現在、派遣社員としてある会社へ派遣され、日々勤務している訳です。

こちらの派遣先はまもなく1年を迎えようとしています。

派遣社員として数社勤務する中で久しぶりに1年越えしそうです。

先日、派遣元からの勤務評価として「安定して勤務している、もしくはそれ以上」とのお話でした。この1年で自分の業務内で出来ることはしたと思います。

それなりの規模の企業なのに色々アナログで、もはやテレワークなんて令和時代には叶いそうもない環境です。それでも例えば各営業所の担当者へ働きかけ、発注の仕方を統一してもらう、仕入れ先へも協力してもらい、書類の郵送、FAXを廃止し、PDFでメールを送ってもらい、やりとりのタイムロスをなくす、手書きのフォーマットをエクセルで作成してコードを入れれば納品先が反映されるように関数を組む、十数件コピペ作業だったものも関数でコードを入れれば情報が反映されるようにする、未整理の書類を企業ごとにファイリングして、見出しをつける・・・

など自分の業務内で小さな改善を試みました。結果的に自身のミスや煩雑な作業が軽減され、また各支店へのやりとりもスムーズになったこと、当初、月の残業時間が15時間程と聞いていたけれど、1時間もあるかないかになりました。すごいことだと思いませんか。

なので時給交渉をしてみましたがダメでした。業務改善をしてその分手が空いて他の業務も追加されたにも関わらず、いただけるはずだったお給料(残業代)はもらえないという結果に相成りましたとさ。頑張ってますねという言葉より時給を上げて欲しかったな。

企業によっては業務改善は必ずしも良いことではないということが分かりました。

契約終了時に次の派遣先へ切り替えられるように探していましたがタイミングが合わず当面3ヶ月継続することになりました。

Time is money.  

時は金なり。

時給にして・・・円也。

次の職場で活かすことができるように、業務改善のおかげで就業時間内も時間ができたので英語とマクロの勉強をさせていただくことにします。

 

1ヶ月の食費について考える

野菜の価格の目安として小松菜100円を相場としてそれ以上、もしくはそれ以下で判断しています。昨年の12月頃は59円で売られている小松菜を見ては迷わず買い物カゴに入れる一方でこんなに安く買い叩かれる小松菜を不憫にも感じていました。

最近は概ね100円をキープ、他の野菜も安定しています。

 

さて、日々暮らす中で食費も気にしていることの一つですが、実家ではほぼ買い出しをしたことがなく、また自炊もあまりしなかった生活力のない娘でしたので、一人暮らしをするに当たって食費の検討もつきませんでした。昔、テレビの企画で1ヶ月1万円生活という番組があったことを思い出し、「1万円以下=節約」ということなのだと思い、とりあえず月1万円を目安に暮らすことにしました。(ただし外食は除く)

一人暮らしを始めた頃は家計簿をきちんとつけていたわけではないのでうろ覚えなのですがある月は8000円程の食費だったことがあります。

それからしばらくは約1万円をキープ(ただし、お米は実家から送っていただくこともある)

この1年は1万から1万5000円の食費となっています。

食費が上がった理由の一つに、レトルトや加工品を多めに買うようになったこと、チーズやおつまみなど嗜好品を以前より買う回数が増えたからだと思います。

派遣先が変わったことにより通勤時間が増え、その分帰宅時間が遅くなりました。

そこから料理をするというのは結構大変。なので週に1回ほどはレトルトのカレーなどに頼っています。それからお弁当に冷凍食品を入れるのでそちらでもお世話になっています。

ただレトルトや加工品は災害時の備蓄の意味もあるので、ローリングストックとして必須だと考えています。

嗜好品が増えた理由はコロナ禍でお家で過ごす時間をちょっと贅沢に、と思ってからだんだん増えていきました(笑)

まあ、でも食べることは楽しみのひとつなのでいいかな。

ただ、やっぱりお菓子類、特にスナックを常食化してきているのでここは削りたいところ。

たとえ100円のお菓子でも会社からの帰り道で買って帰ると1ヶ月で2000円!

これは検討の余地があります。

ということでしばらく食事バランスと食費、あとは別途外食費(ご褒美のコーヒータイムなども)について考えていこうと思います。

東風吹かば

昨日、今日と良いお日柄で、エアコンを使わずに済んだ。

朝から窓を開けて春の気配のする暖かな風を送り込んでいる。こんな日は掃除洗濯が気持ちよくできる。

敷き布団と、寝具を洗って外に干す。それからキッチン周りを磨く。床を水拭きする。

フキンを煮沸消毒して、漂白する。棚を拭く。

一通り済ませてから少しだけ仰向けに寝る。

ここ数日、気候のせいか眠くて仕方がない。窓から入る風と天井に反射している光の加減で季節の気配がわかる。

まだまだ冬と春が拮抗して寒くなる日もあるかもしれないけれど春の日が待ち遠しい。

 

せっかくの暖かい日なのでお昼ついでに北野天満宮まで散歩をすることにした。

厚いダウンは着ずにカーディガンだけ羽織って出掛けられるのが嬉しい。

ちょうど梅が見頃だ。場所によっては満開だがまだ蕾もあり、もう少し先まで楽しめそう。 

北野天満宮まで来たら、立ち寄るお店が『老松』でこちらのお店の月餅『香果餅』が好きだ。

小倉餡にオレンジピールを混ぜ込んだ洋菓子のような和菓子。京都の土産菓子は贈ることの方が多く、案外食べたことがないものもあったりする。3年ほど前、京都駅でお土産を探していた時に初めてこのお菓子を知った。食べたことはなかったのだが個数がちょうど良かったのでこちらを選んでレジへ持って行ったところ、店員さんにも太鼓判を押されたお菓子だった。その時はお持たせとしていただけなかったので後日、自分用に買って食べてみたところ私のお気に入りになった。

一人分のお菓子を箱で買うことはなかなかない。けれども丁重な店員さんを前にしてお菓子を一つだけ買うのも心苦しいし、せっかくだから少しずつを何種類か買ってみて今度誰かに贈る時の為にも試食しておこうと今日は『香果餅』の他に『菅公梅』という麩焼煎餅と押菓子の『御所車』『北嵯峨』を一つずつ買った。墨絵で描かれた松の絵の袋に入れてもらい、暖簾をくぐって外に出る。上七軒の通りの五つ団子の提灯を眺めながら帰り道の足取りも軽やかだ。

 

東風吹かばにほひをこせよ 梅の花  主なしとて 春を忘るな

 

この界隈を歩くと思い出す歌である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンプルライフの原点

物に対する思い。

物が身の回りにたくさんあればある程豊かという価値観がこの20年程で随分変化してきていると感じている。

書店へ行けば断捨離やミニマリストなどの新刊本がたくさん並んでいるし、ネットの情報もしかり。私の祖父母世代はまさに物で満たす事が豊かなことと信じて疑わなかった時代だから祖父母の家は物で溢れかえっている。そして父母はその片付けに頭を悩ませている。

私はもともとたくさんの物が欲しいとは思っていないし、洋服についてはブランドも気にしたことがない。シンプルで着易くてそれなりに手頃な値段で買える物が欲しい。それでも社会人となってある程度のお金を手に入れるとそんなに買ったはずではないのにそれなりに物が増えていた。

高校生の頃、古文の授業で鴨長明の『方丈記』を読んだ。有名な序文 ゆく河の流れはたえずしてしかももとの水にあらず、から始まるこの文章は平安末期の天災、疫病などの情勢不安、世の中の無常や儚さを達観の境地で書かれた随筆だ。その随筆の後半には鴨長明が暮らした草庵での様子が描かれている。当時の古文の先生がその草庵での暮らしについて配布してくれたプリントの内容「鴨長明シンプルライフ」というようなタイトルで今でいうワンルームでの暮らしのような極めて物が少ない、シンプルなその様子に驚いたのだ。

西に仏花を供える棚をつくり、北の隅には障子を隔てて仏画を飾り、その前に経典を置く。

・スタッキング可能なボックス型の棚に、お気に入りのアート作品や本を置く

寝床は東側に敷かれています。

・ベッドはいらない、布団派

机に向かうときは、脇息(きょうそく)に肘をかけて円座に座る。

つり棚には、和歌の本や往生要集の写本を入れた箱を置き、その横に、琴と琵琶を立てかけておきます。

・ちゃぶ台を前にクッションに腰掛け、そして趣味の本やペン習字の練習帳、その横にウクレレとキーボードを立てかけている

最低限の限られた身のまわりの品々の中で特に目立つのは、文机や硯(すずり)箱などの文具と三具足(みつぐそく)などの仏具です。これらは長明が陰遁した文化人として携帯すべき必需品であったことがわかります。

・身の回りの品々でスマホとパソコンなどの現代における仕事道具、連絡手段、娯楽も兼ね備えた電子機器と電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機の一人暮らしの三種の神器。これらはかもめもめが現代において最低限文化的な暮らしをする為の必需品であったことがわかります。

(笑)

『かもめもめ口語訳 ワンルーム日記』(現代版私的解釈方丈記

現代の生活様式になぞらえて解釈するならこのような感じだろうか。

もちろん、服も食器もそれなりに持っているし最低限の家電といえどもエアコン、ドライヤーなしではもはや暮らせない。シンプルライフを試みようとした時に電子レンジや炊飯器を持っていない時期もあったけれどそれはそれで手間がかかる。

便利なものを使わないという生活スタイルもあるけれど、私はそれなりに恩恵に授かりたい。だって便利なんだもの。便利なものとは生活を良くしたいという人間の知恵のようなもの。でもあれもこれもではなくて生活必需品を厳選して、自分にとっての良いもの、愛着を持てるものを身の回りに置いて暮らしていきたい。服も食器も家具も家電も。

でも、きっとまたそんな理想はゆく河の流れの如く、かつ消えかつ結びて久しくとどまることはないのかもしれないけれども、暮らしについての本質を忘れそうになった時、私の師匠の一人、鴨長明先生の究極のシンプルライフを思い出せたらと思う。